2017/3/28
[26回] 記憶のしくみとその対処法
「人間」という字は人の間と書くように、家庭生活や学校、仕事、友人・知人との交流など、私たちはいろいろな人たちとの間でいろいろな関わりを持ちながら、日々さまざまな経験をし続けています。そんな毎日の経験のなかには、忘れたくないこと、覚えなければならないことがある一方で、忘れてしまいたいことがあり、それを上手く対処できないまま引きずってしまうことはよくあることです。また、中高年になるともの忘れがひどくなり、アルツハイマー (認知症) を心配される方も少なくないのではないでしょうか。
脳の働き
大脳辺縁系の一部を構成する海馬は、日々の膨大な経験情報を一時的にメモリーし、取捨選択して必要な情報を大脳皮質に送り、長期記憶として定着させる記憶の司令塔 のような役わりを担っています。こうした記憶の処理は睡眠中のレム期 (肉体は休息しているけれども脳は覚醒している状態) に行われ、さまざまな情報のうち生命維持や人生を歩んでいくために必要なもの が優先されます。したがって、不要であったり不快な情報は忘却されやすく、必要で心地よい情報が記憶としてより多く保存されていくことになります。
海馬は虚血やストレスに弱いデリケートな組織です。地下鉄サリン事件の被害者や、阪神淡路大震災、東日本大震災で被災された人たちのなかにみられ知られるようになったPTSD (心的外傷後ストレス障害) では、しばしば記憶障害を来します。これは強い精神的なショックにより過剰に分泌されるコルチゾール (ストレスホルモン) により、海馬の神経細胞が死滅することによります。PTSDをおこすような極度に強いストレスでなくても、不快なストレスが続くことは好ましくはないため、可能な限り回避したり発散したりすることで海馬を守っていきたいものです。
また、海馬は加齢に伴い萎縮しますが、その構成細胞には再生能力があることから、不快ではない有益な経験情報を海馬にたくさん送り込み、よく睡眠をとることによって再生を促すことができます。英国ロンドン大学のタクシードライバーを対象とした研究では、複雑なロンドン市街の道をよく覚えているベテランドライバーほど空間情報の処理を担っている後部海馬が発達していたとのことです。私にはできないとか、もうトシだからと諦めずに、いくつになっても好奇心を持っていろいろなことにチャレンジすることで、海馬の機能維持ばかりでなく脳全体の活性化を促して いきましょう。
学生時代、徹夜で勉強し、一睡もしないまま試験に臨んだ経験は一度や二度はあるのではないでしょうか。時間が足りないとか、忘れてしまいそうで不安ということでついやってしまいがちですが、前述したように記憶の定着作業は睡眠中に行われることから、少しでも睡眠をとるのが望ましいと言えます。からだを休めて目を閉じリラックスしている状態はレム睡眠に近い ので、寝る時間のないときはそんな状況を少しでも作ることで効果を上げることができるでしょう。ただし、本格的に寝入ってしまわないようご注意を。
忘却の病気アルツハイマー
自分を忘れ、他人を忘れ、もの事を忘れていく忘却の病気アルツハイマー。重症になるにつれ海馬の萎縮が顕著になっていきます。この病気の記憶障害の特徴は、直近の記憶の忘却から始まっていくことです。昨日のこと、さっきのことを忘れてしまうのです。トシをとるともの忘れが多くなりアルツハイマー (認知症) になったのではと心配になりますが、細かな内容は思い出せなくても、やったこと、経験したこと自体を忘れていなければ大丈夫です。もの忘れは若い人にもみられるものであり、単なる記憶の引き出しを開けるのに手間取っているだけにすぎません。また、アルツハイマーは空間認識が障害されるため、病気が進むにつれ 道に迷ったり、どこに何を置いたかわからなくなったり、自分の家のトイレの場所がわからなくなったりするようになります。
そんなアンチエイジングの大敵であるアルツハイマーですが、その初期でもできなくなる簡単な動作テストがあります。両手を使って影絵の鳥の形を対面で手本を示しながら真似してもらうというものです。空間認識が悪くなっていますので、親指の組み方が分からずに鳥が羽を広げた形を作れないのです。気になる方は試してみてはいかがでしょうか。
スパイスをふんだんに使うカレーの国インドでは、アルツハイマーが少ないことが知られています。これは抗酸化効果や血流改善などが功を奏しているのでしょう。また、青魚のEPA、ココナッツオイルの中鎖脂肪酸 (MCTオイル)、赤ビートのポリフェノールなども効果的です。海馬への血行を良くする適度な運動とともに、このような食事のサポートも心掛けたいものです。
忘れたいこと、忘れたくないこと
はやく忘れてしまいたい不快な記憶、嫌な記憶の対処法として、趣味に浸る、旅に出る、買いものをする、友達とワイワイ騒ぐ、新たな出会いや交流を求める、などが行われています。しかしながら、なかなかスッキリせず、結局は時の経過で記憶が薄れいくのを待つことになります。やけ酒・やけ食いはその場限りであり、むしろ不快感が強くなったり、落ち込みを招いてしまいかねません。 忘れたくても忘れられない – それは、経験記憶に伴っている感情がそうさせているのです。つまり、経験 に付帯する感情が皮膚感覚を持って強いほど忘れることができなくなるのです。
記憶から感情を削り落とす こと、これが最も効果的な対処法のポイントです。例えば、失恋した当初は相手の息遣い、手のぬくもりなどの皮膚感覚を伴った感情が強くまとわりついて います。しかし、時がたつにつれそれは薄れていき、あのとき○○を一緒にしたとか、○○に行ったというように、経験した事柄だけがまるで文章で記録されたことのように残るだけになります。つまり、はやく忘れるためには、失恋の例と同じようなプロセスを意識して速めればいいのです。すぐにでも忘れたい嫌な、不快な経験をしたら、さっさと記録して抽象化してしまいましょう。
また、自分を客観視することも効果的です。その出来事 (ドラマ) の主役である自分を、ドラマをつくる監督の目で見るのです。そうすれば、自分や関わりのある登場人物、そして、その背景が客観的に広い視野でよく見えるようになり、感情的な思考から解放されやすくなっていくでしょう。人生は自分が主役のいろいろなドラマ舞台の連続です。嫌なドラマと感じたらそのドラマを打ち切って次のドラマに臨みましょう。いいことも良くないことも経験は全て次のステージへの踏み台になっているのです。思い切り踏み込んであなた自身の未来へ大きくジャンプしましょう。逆に、記憶しておきたいときは、勉強の場合は意味付け、エピソード化、ストーリー化して反復、楽しく快い経験の場合は、ドラマの主役として感情を込めイメージするといいでしょう。そして、いずれの場合でも、しっかり寝ることが肝要です。