2019/4/24

[37回] アンチエイジングも神頼み⁉


どうしても叶ってほしいことや心配ごとがあると、「(漠然とした) 神様」に心の中で手を合わせてお願いすることはよくあることです。実際に神社にお参りしたときは、そこに祀られている神様に祈願し、お寺では、供養ばかりでなく、ご先祖様や安置されているご本尊などの仏様 (仏像) にお願いをします。また、山や木、石などの神格化された自然物や、パワースポットと呼ばれる聖域に対して、あるいは、食事の前後や感謝の気持ちを表現するときにも、同じように手を合わせます。

こうしてよく考えてみると、私たち日本人はいろいろな場面で手を合わせているようです。俺は神も仏も信じない!神頼みなどしない!という御仁も、厳かな場所に身を置くと、心の中では少なからず神妙な心持ちになり、頭を垂れているのではないでしょうか。特定の宗教を持たない人が多い日本人ですが、国の成り立ちや歴史、文化に根差した独特の宗教観が、日本人であれば誰もがDNAに刻まれ、連綿と受け継がれているのでしょう。

様々な領域でダイバーシティ (多様性) が進み世の中が複雑化するにつれ、そこには不安要素もついてくることになります。そのため、現実的な不安点にとどまらず漠然とした不安感がいつも心のどこかにあり、それを払拭するために、現実を超越した何かにすがりたいという無意識の気持ちが、次第に増幅してきているのが現代人のように思われます。

神棚や神社の存在

大企業の社内には神棚があり、経営者はよく神社に参拝するようです。また、ビルの屋上に自前の神社を目にすることがあります。昔の任侠物の映画では、組長の部屋には必ず神棚がありました。自分の家や故郷の実家に神棚があるのも珍しくはないでしょう。お天道様が見ている、神様や仏様、ご先祖様が見守っていてくれる、誰かとどこかで繋がっているという縦や横の気持ちの糸は切れてはなりません。メンタリティの安定が欠かせないアンチエイジングのためには、日々いろんな場面で意識して手を合わせることが、漠然とした不安感の払拭に役立つのではないでしょうか。そして、ときには実際に神社やお寺に行き、拝む機会があればよりいいですね。

神社での作法

左右の手を合わせて拝む合掌は、均整がとれた美しい姿です。仏教ではお釈迦様の手と自分の手が合わさって一体化した状態ということだそうです。一方神社では、二礼の後に二回柏手を打ってから手を合わせて祈願しますが、仏教と同じように一方の手は神様で他方は自分です。つまり、仏様や神様との交流はそこから始まるのです。わが国の伝統的神道には作法があり、それに則って参拝することが望ましいため、基本的な作法とその意味をぜひ知っておきたいものです。

神社には鳥居があります。神殿を持たず山などの自然物を御神体としてお祀りしている神域にもその手前に鳥居が建てられています。神域への入り口である鳥居をくぐるとき、真ん中 (正中) は神様の通り道とされているため、左右どちらかの端に立ってまずは会釈してから入ります。


そのまま参道を進んでいくと、身を清めるための手水 (ちょうず) 舎があります。参道を横切る場合は軽く会釈しましょう。

① 右手で柄杓を持ち、多めに水を汲んで左手を清めます。
② 次に柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。
③ 再び右手に持ち替え左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。
④ すすぎ終えたら、もう一度左手に水を流します。
⑤ 最後に柄杓を立て、柄に水を流してから伏せて置きます。

神殿の前に鳥居があればそこでも会釈してから進みます。神殿の賽銭箱の前 (真ん中でもけっこうです) に立ったら会釈をし、神様に捧げる真心のしるしとしてお賽銭を入れます (金額はいくらでも結構です)。この時、投げ入れずに置くように丁寧に入れましょう。鈴があれば鳴らして拝礼に移ります。

① 深いお辞儀を二回繰り返します (二礼)。
② 次に両手を胸の高さで合わせますが、神様の左手に対して自分の右手を少し手前に引き、肩幅程度に両手を開いて柏手を二回打ちます (二拍手)。
③ その後、両手をきちんと合わせながら心を込めて祈ります。
④ 両手をおろし、もう一度深いお辞儀をします (一礼)。

以上を、二礼二拍手一礼と言いますが、神無月に全国から八百万の神が集まる出雲大社と、全国に44000社ある八幡宮の総本社である大分の宇佐神宮では、二礼四拍手一礼が作法ですので注意が必要です。ちなみに、宇佐神宮の主祭神は比売大神ですが、この神様は卑弥呼ではないか、との説があります。ということは、邪馬台国はそのあたりにあったのでしょうか?

成功している人は、なぜ神社に行くのか

八木龍平氏の著書「成功している人は、なぜ神社に行くのか? (サンマーク出版 2016年)」によると、二礼二拍手の後のお祈りの際、まずどこの誰だかわかるように住所と氏名を言い、次に「参拝させていただき感謝申し上げます」といった感謝の言葉の後にお願いごとを伝えます。そして、最後に深く一礼するとき、祝詞の「はらいたまえ、きよめたまえ」を心の中で唱える、というのが祈りの基本であると述べています。お願いごとは、あれもこれもではなく、一つだけとのことです。

八木氏によると、代表的な例として、信長の失敗と家康の成功の違いは寺社の扱い方にあり、そうした例は歴史上の人物に限らず普遍的にあるのだそうです。比叡山延暦寺や諏訪大社、武田信玄ゆかりの名刹である恵林寺などを焼き討ちにした信長も、桶狭間の戦いの前には熱田神宮に必勝祈願に行っています。ということは、彼は神仏を全否定していたのではなく、戦略的にみての合理的な行動であったのかもしれませんが、その報いは自分ばかりでなく子孫にも及んでしまいました。歴史のある大きな神社やお寺になるほど膨大な祈りの積み重ねがあり、そこに集積していた強いパワーの反動が返ってきたということなのでしょう。逆に、祈りの気持ちを強く持てば持つほど、きっと強いパワーに守られていくということになるのでしょう。


筆者の自宅に一番近い神社は、札幌市西区にある「琴似神社 (ことに)」という神社で、北海道で最も古い神社の一つです。伊勢神宮内宮の天照大御神 (あまてらすおおみかみ) と外宮の豊受大神 (とようけのおおかみ)、国造りの神である出雲大社の大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ) のほか、初の屯田兵として琴似に入植した兵士たちの出身である仙台旧亘理藩の藩祖伊達成実と、徳川家康の孫で家光、家綱を補佐した会津藩の藩祖保科正之が祀られています。伊達成実公は伊達政宗の右腕と言われた重臣で、故郷ゆかりのこの人物を祭神として祀ったのが琴似神社の始まりです。なんと豪華で強そうなメンバーでしょう。筆者にとっては、最強のパワースポットになっています。

皆さんも自分の地域の神社にはどんな歴史があり、祀られている神様はどんな方なのか調べてみてはいかがでしょうか。そして、ときには、ゆったりとした時の流れに身を委ね、神様と交流してみてはいかがでしょうか。日常生活のストレスでさざ波立っている心が整い、調律されて、生きる力がみなぎってくるのを感じることができれば、それはまさにアンチエイジングと言えるでしょう。