2020/6/3
[43回] 人類と感染症の闘い
結核や赤痢、破傷風、ボツリヌスなどは細菌で、今問題となっている新型コロナはもとより、インフルエンザや麻疹、風疹、水疱瘡、A / B / C 型肝炎、エイズなどはウイルスです。それではペストはどっち?コレラは?
細菌とウイルスはどちらも感染力のある微生物であり、その多くは人体に悪影響をもたらすものとして同じように扱われていますが、両者の違いについて明確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。放置していると食べ物が腐っていくのは、食べ物に含まれる糖分をエサとしてエネルギーを作り、遺伝子を複製して増殖し毒素を産生する細菌の仕業です。つまり、細菌は生物の定義である自己増殖能があるのに対し、ウイルスはとりついた細胞の力を借りなければ自己の遺伝子の複製はできないため、厳密には「生物」ではない曖昧な位置づけになっています。細胞としての構造を持つ細菌に対し、ウイルスは内部にDNAまたはRNAを持つだけのシンプルなナノメーターサイズのカプセル状微粒子で、マイクロメーターサイズの細菌と違い電子顕微鏡でなければその姿を捉えることはできません。
酵母菌や乳酸菌、納豆菌などの善玉の細菌が一部ある一方で、多くの細菌やウイルスは人の生命を脅かしパンデミックを引き起こす可能性のある厄介なものです。ウイルスはそもそも生物ではないため、細菌に対しては効果的な抗生物質は効かず、その対処は難しいと言わざるを得ません。インフルエンザやヘルペスなどごく一部のウイルスに対する薬はあるものの、ウイルス感染症に対しては、対症療法を行いながら体内の免疫力に期待するしかないのです。
一般的な血液検査の項目に白血球(WBC) があり、好中球、リンパ球、好酸球、好塩基球、単球で構成される白血球がそれぞれ何パーセントずつあるかを示すのが白血球分画(血液像) です。平常時の免疫力を大まかに推し量る一つの指標として、リンパ球の比率が基準範囲内(白血球全体のおよそ25-45%) であることや、好中球(N) とリンパ球(L) の比(N/L比) が1.5 – 2.0程度であることが望ましいとされています。実際、エイズや新型コロナウイルスなどの免疫力が低下していると考えられる患者では、リンパ球比率が低下し、N/L比が1.5 – 2.0を大きく上回ることが多いことが示されています。がん患者は抗がん剤や放射線などの治療で免疫力が低下しますが、乳がん患者に関する検討では、3.7を超えると予後不良との研究が報告されています。
感染症対策としてマスクや手洗いなど感染しないようにすることはもちろん大切です。しかし、どんなに注意していても感染を完全に回避することは不可能です。そうであるならば、例え感染しても体内の免疫力を高めておけば、発症を防いだり(不顕性感染) 、軽傷で済んでしまうことができるはずです。適正な食事や適度な運動、十分な睡眠など免疫力を高める様々な取り組みのうち、中核になるのは日々の食事や健康食品からの栄養の確保です。人は食べたもので作られ機能していることを考えるとそれは当然であり、三大栄養素や食物繊維はもとより、現代人では不足傾向が強いビタミンとミネラルの十分な摂取も怠ってはなりません。栄養学的な観点からみると、とくにビタミンD、C、亜鉛が免疫力強化のためには必要不可欠で効果的な栄養素であり、食事では摂りきれない分を健康食品を上手に利用することにより、免疫力を十分に高めることが期待できるでしょう。
こうした細菌やウイルスと私たち人類との太古の昔からの闘いは、わずか100数十年前、ロベルト・コッホとルイ・パスツールという同時代に生きた偉大な学者の登場まで惨敗の状況が続いていました。実はこの両巨頭のほかに、わが国では近代医学の父と称され、初代日本医師会会長、初代慶応義塾大学医学部長・病院長、初代東大医科学研究所長であり、北里大学の学祖である北里柴三郎がコッホの右腕として大活躍していたのです。
1885年(明治18年) 、ベルリン大学に留学し破傷風菌の純粋培養に成功するなど着実に業績を上げていった北里はコッホから絶大な信頼を得、コッホ四天王として研究に邁進しました。そして5年後の1890年に破傷風菌抗毒素を発見。さらに、菌体を少しずつ接種し血清中に抗体を生み出す血清療法を開発し世界の医学会を驚嘆させました。同年に同僚のベーリングとの連名で血清療法をジフテリアに応用した論文を発表しています。当時、感染症に対してはパスツールによって確立された予防接種しか方法はなく治療の手立てはなかったことから彼の血清療法は画期的であり、およそ50年後のペニシリンの開発とともに感染症対策の扉を大きく開いた金字塔として世界の医学史に刻まれることになりました。
その後、北里は黒死病として世界中の人々から恐れられていたペスト菌を発見したり、野口英世、志賀潔などの弟子たちとともに狂犬病や赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。そんな中、彼は1901年に始まった第1回ノーベル医学賞の有力候補に選ばれます。しかしながら、抗毒素を発見し血清療法を開発した北里ではなく、同僚で共同研究者であったベーリングが受賞したことからその結末についての疑問が後を引くことになりました。日本人の医学賞の受賞は、1987年の利根川進博士まで86年間待つことになります。現在のように共同受賞の規約があれば間違いなく受賞したことでしょう。幻の初代ノーベル医学賞。誠に残念と言わざるを得ませんね。
文学者として著名な森林太郎(森鴎外) は、陸軍軍医総監に就くなど医師としても大きな影響力を持っていました。当時軍人たちを苦しめていた脚気の原因を森林太郎を中心とする東大の主流派は細菌感染とする一方で、海軍医務局長の高木兼寛は実地検証により栄養の問題とみていました。実際、白米を食べていた陸軍に対し麦飯を摂っていた海軍の日清・日露戦争時における脚気患者はごくわずかであったのに対し、陸軍では戦死よりも脚気で亡くなる兵士が多かったと記録されています。むくみや息切れを来し、やがては心不全を起こす脚気はビタミンB1の不足によるものであり、北里は母校の東大一派の感染説を真っ向から否定する実験論文を書いて高木の考えに同調しました。まさに派閥にとらわれない研究者としての気概を感じます。
このように偏った食生活は様々な体調不良や病気を引き起こし、命をも奪ってしまいかねないのです。たかがビタミン、たかがミネラルではありませんね。
多くの方が細菌なのかウイルスなのか迷ってしまうペストは北里柴三郎博士が発見した細菌であり、コレラも細菌に分類されます。現代の脳外科医が幕末にタイムスリップするテレビドラマ「JIN-仁-」の中で、主人公の南方仁が患者の隔離や点滴を取り入れるなどでコロリ(コレラ) 対策に取り組んだり、試行錯誤してペニシリンを作って人々を救います。また、がんや外傷の手術も行ったりします。しかしその一方で、反対勢力の妨害を受けたり、結核に効果のある薬を作れないため当代一の医学者である盟友の緒方洪庵を救えなかったというストーリーは、架空の物語とはいえ人類と感染症との闘いの歴史を私たちに教えてくれます。また、感染症ばかりでなくがんをはじめとする様々な病気の予防と治療方法の開発にも期待感を持たせてくれます。
数々の賞を受賞した「JIN – 仁 -」。昨今の医療ドラマとは一線を画す作品として、皆さんのアーカイブのリストに入れてみてはいかがでしょうか。